しめしずの星に願いをを考察してみた(サマパラ~賛成コン)

「これはTravis Japanのメンバーの閑也と一緒に」

 

8月5日の七五三掛龍也12時公演、オルゴールのBGMが流れる空間でしめちゃんはこんなことを言っていました。

 

メンステにはアンティーク感のあるフレームで枠組みされたガラスが1枚。

 

雰囲気的にバラードをやるとは思っていたけど、まさかここで星に願いををやるとは思わなかった。

藤ヶ谷担の友人と以前カラオケに行った時、

「星に願いをは本当に苦しくなる曲。」

と聞かされていたので、タイトルが発表された時

「あの曲をやるの!?1人で!?しめしず?どういうこと!?」

と1人で慌ててました。

 

今回はそんな星に願いを(しめしずver.)の考察をしてみたいと思います。

 

 

まず、しーくん(閑也)が1番、しめちゃんが2番を歌っていること。

そしてこの曲のテーマが「死別」であることから、しめちゃんがいなくなってしまった。というストーリーで物語が進んでいることがわかります。

 

それをふまえてのイントロ。

イントロの始まりから鏡を挟んだ反対側には相手のメンカラ(しめちゃんはしーくん、しーくんはしめちゃん)が照らされています。

この時点でわかることは、この空間には自分一人しかいないということ。

ソロコンだから当たり前かもしれないけど、相手のメンカラを照らすことで「孤独」感をより一層引き出してるなと感じました。

そして気づいたのは、2人とも始まりは背を向けていることです。

なにかに気づいたかのように、また思い出したかのようにガラス越しのいない「君」の元へ歩きだします。

となると、もう既にしめちゃんはこの世界にいない。そして今日はしめちゃんとしーくんにとっての忘れられない日、または今日1日だけしめちゃんがこの世界に戻ってこれる日なのではと考えました。

(追記:織姫と彦星説もある)

 

 

Aメロ(しめ2番、しーくん1番)

ここで思ったのは、しーくんのパート「星になってしまったね」でしーくんが空を見上げていることから、しーくんはしめちゃんがガラス越しにいるとは思っていないんだろうなと…。だって、しめちゃんはこの世界に1度だけ戻ってこれても生きていなければ存在は見えないので…(泣)

それに比べてしめちゃんはしーくんが見えているのかなと思いました。

それはその次のしめちゃんのパート「せめて叶わないのならば」

ここでしめちゃんは反対側のしーくんの所へとかけ出すんです。

そして目線。しーくんの歌詞が「僕は君を選ぶんだろう」なので、もししめちゃんが見えてるのなら前を向いているはずだけど、しーくんは下を向いているんです。その逆でしめちゃんは前を向いています。

となると、やっぱりしーくんにしめちゃんは見えていないのかなと思いました。

 

サビ

ここではしーくん、しめちゃん共に振り付けが違うところがポイントですが、その後「見上げてる(見守ってる)いつもAll night long」で振り付けが揃うところが私の中のエモポイントでした…泣

見上げてるしーくんと、見守ってるしめちゃん。

決してもう会うことは出来ないけど考えてる事は同じなんだよ。というような揃い方に胸を締め付けられた…。

 

そしてもう1つポイントがあります。

最初の方にも書いた「しめちゃんは見えてるけど、しーくんには見えてない説」の続きです。

ここのサビ、しめちゃんが座った振り付けの多い中、しーくんは立ち振りが多いんです。

ここに2人の違いが大きく出てるなと思うんですけど、最後の最後にしーくんが振り付けの1部で頭を抱えてしゃがんだのに気づきました?

そしてその時しめちゃんは反対側を向いているのに、しーくんに気づいてガラスに向かって駆け寄るんです。

それはしめちゃんの歌詞「ねぇ本当私なんかでよかったのかな?」と、しーくんの歌詞「ねぇもっと幸せに出来たかなって」

の振り付け。

実はこのダンスしーくんが正面を向いているのに対して、しめちゃんはしーくんの方を向いて踊っているんです。

これに関してはしーくんの歌詞が「もう君の答えは聞けやしないよ」なので、もう会えないというニュアンスを表していることもわかります。

ちなみにサビの最後で2人がガラス越しの相手に向かって手を伸ばしてる場面でしめちゃんの表情とか前に一歩出てるところから、しめちゃんにとってしーくんは、手を伸ばせば届く距離にいるのに触れられないもどかしさ。しーくんにとってしめちゃんは、そこにいたらいいのにな…いるわけないけど。みたいな感じに捉えられました😢(ここにきて初絵文字、こんにちは。)

そう考えると、この辺りで2人の振り付けが揃うのなかなかエモいですよね…泣

 

あれ、これって「しめちゃんは見えてるけど、しーくんには見えてない」話として成り立ってない?説じゃなくてそういうストーリーじゃない?

 

 

そんな気持ちを抱えながら、しめしずストーリーは終盤に差し掛かります。

 

サビ終わりに出てくる「階段」。

これが2人の別れをさらに深くしてますよね。

ここでのしめしずはしーくんが階段にすぐ近付くのに対して、しめちゃんは階段に向かうしーくんの背中を見送ってから階段を登ります。

階段が移動する時もずっとしーくんの方を見るしめちゃん。正面を向いて感情を込めるしーくん。

この対が本当に切なくて悲しくて胸が苦しい。

そして「運命の扉を開こう」でしーくんに向かって手を伸ばすしめちゃん。

離れてしまったのに手を伸ばしている姿で切なさ2割増…。

 

なんか私の感想ブログになってきたので、話を戻します。

 

この後しめちゃんは階段を登って2階ステージ(?)へ。

しーくんは階段を降りてメンステに戻ります。

 

ここで私気づきました。

 

このパフォーマンスって、ガラスを真ん中にして半分ずつステージを使っているのですが、しめパラの星に願いをでしーくんが使ってる方のステージから見たしめちゃん(伝われ)って絶対ガラス越しなんです。

 

特にこの最後のサビなんて、しめちゃんが2階のステージにいることからカメラの場所をずらせばガラス越しじゃなくてもしめちゃんは映ります。それでもしめちゃんをガラス越しから映すことで、しめちゃんがしーくんのことを見えていたとしても絶対にしーくんには近づくことができず、見守るしかないということになるんです。

なのにしめちゃんは、ラスサビでもしーくんを見ている。

しーくんはしめちゃんを見ることなく正面を向いて歌を歌う。

 

えっも。

 

いや、エモいという言葉で片付けたくない…。

でも今の語彙力ではこの言葉しか出てこない…。

 

これが私の中の星に願いを(しめしずver.)考察だったんですけど、どうでしたか?

 

結局何を伝えたいかって、"しめちゃんは見えてるけど、しーくんには見えてないのでは"ということです。これには人の解釈というものがあるので、私はこういうふうに捉えたよ!という語りブログなのですが少しでも共感してもらえる部分があったら嬉しいです…。(マシュマロで自分なりの考察を送ってくださった方々ありがとうございました。おかげでしめしずの星に願いをの想像だけでご飯たべれるようになりました!)

 

それにしてもこの演出と振り付けを考えた2人は天才だし、ソロコンという場の活用が上手すぎる。

さすがTravis Japanの振り付け師。考えることのレベルが違うなと。

 

 

星に願いをの世界で生きるしめしずへ。

早く2人が壁のない世界で出会えますように。

 

 

 

追記

 

2021年

 

1年越しに星に願いをの世界で、しめしずは壁のない場所で再会することができました。

2番を1つ高い場所から歌う七五三掛くん。

そんな七五三掛くんより低い場所で2番を歌う閑也くん。

 

ここで振り返ってみると、2020年での星に願いをではしめちゃんが最終的に1つ高い場所に移動しラスサビを歌っていました。

2020年と2021年での違いはまず、この曲の始まる立ち位置から始まります。

 

簡単に要約すると(七五三掛目線)

2020年

同じ場所に存在していたが、目に見えない存在になってしまったため空に上っていく。

 

だったのが

2021年

空に上っていったが、吉澤に会いに行くためにこの世界に戻ってくる。

 

というストーリーになっていくわけです。

一方閑也くんは2020年も2021年も七五三掛くんのことは見えていないのですが、気持ちの変化は変わっているのではないかなと思いました。

2020年では膝をつき頭を抱えたりかなり感情的に見える部分が多かったのですが

2021年ではあまり心から感情を爆発しているようには見えませんでした。

 

ここは人間の心理と同じで、人は大切な人がこの世からいなくなってしまった時、最初は信じられなくて感情的になりますが年を重ねるごとに前を向きますよね。

このように閑也にとって2020年では「会いたい」

と思っていた感情が2021年では「会いたい"けど"会えない」というように変化していったのではないかなと考えました。

 

そして2020年と違う場所がもう1つ。

あのアンティークな壁?に2020年にはあった1枚のガラスが2021年は無くなっているんです。

逆になぜ今年は無いんだ!?

あれってソーシャルディスタンスの意味ではなかったのか!?

と思っていましたが、先程の記述のように

2020年があの壁を境に生の世界と死の世界だとするならば、

2021年は生の世界にきた目に見えない人と生の世界で生きる人

という解釈になるのかなと。

だからお互いは触れられるけど閑也くんには見えないし、壁を動かすことはできるけど壁より向かうの相手がいる世界には行けないのだと思いました。

 

はぁ…切ないな。

これはなんて言ったらいいんだろう。

私が今回の星に願いをで感じたのは、閑也くんの気持ちが大人になりすぎたことによる別れの愛なのかなって。

私はあの星に願いをを見る度に

「閑也…しめちゃんは目の前にいるよ……感じて…考えるな感じろ……」って思ってましたし

七五三掛くんには

「しめちゃん…閑也は大人になっただけだよ…しめちゃんのこと忘れてないよ……」ってなりました(泣)

 

感じ方は人それぞれですが、考察大好き人間の私の考察はこのような感じです。

引き続きこのような考えもできた!という方はぜひお待ちしてます。

 

しめしず、2人の幸せを願っています。

(七五三掛担/成人済み/女性)